吹けもしないセルマーを毎日持ち歩き、冷戦下のドイツ、アメリカ兵が集まるバーで雑用係りをする日本人がいた。
 この冷戦最前線では、アメリカ本土でいまだに続いていた人種差別も無く、黒人兵も白人兵も、同じビールを飲みながら流れるジャズに癒されていた。
 雑用係の彼は、なんの目的も見出せないまま地球の裏側まで来てしまったが、アメリカ兵と共に聴くジャズの音色には、いつも心を奪われていた。
 
 たまに彼にはバーの司会の仕事が回ってきたが、我流の癖のある英語では、とても舞台を任せられるものではなかった。それでも彼は、ショービジネスとは何かという事をここで学び、西洋人と東洋人の精神的違いと、音楽にはその精神的違いが無い事を学んだ。
 
 後に偉大な作品を作り上げた人物、西崎義展の基礎は、この東西対立の混沌とした世界で生まれたのかもしれない。
 
 
 
 そもそも彼は恵まれた環境に生まれ育った。
 先祖には医学博士をもち、日本舞踊の一派の家元に生まれ、若き頃に金銭的な不自由は無かった。
 学生時代から映画館に通いつめ、ついでに英語までマスターし、欲しい物もたいした苦労も無く手に入れた。また当時としては長身であった西崎氏は、名家の息子の肩書きも手伝ってか、女性にも非常にもてた。
 
 だがそんな彼にも不満はあった。日本舞踊の家元に生まれた子息として、将来を切望されていたのだ。
 当然自由奔放に育ってきた彼には、はなからそんな気はなかった。
 
 勘当同然に、彼は自由を求めて日本を飛び出した。そこには、無限の可能性があったからだ。
ヨーロッパ時代
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