Op1 企画書に対する意見の変貌
- 企画は大分前からあった様ですが?
松本)うん、それはね、僕もこのごろになって知った事なんてすが、それはヤマトではなく小惑星を、(岩みたいな船を)飛ばすという話があったというのをずーっと経って聞いたのね。
こちらはいきなりヤマトの話で、戦艦ヤマトを宇宙に飛ばすんだという話でどうだろうか?
という話を聞いたから、こちらのかみ方としては非常に遅かったわけね。
何故それがヤマトに変わったかはわかりません。
僕が行った時には、あの立派な企画書が出来ていて、ヤマトのテザインも岩盤をつけたような船(いわゆる船ネ、戦艦ではない)のデザインが出来てましたネ。

誰のデザインかはわからないけど、コスチューム・デザインも何点かありました。

COMIC GON!」第2号巻頭「松本零士直撃インタビュー」より(1999年)

-先生は、実作業としてどこまでアニメの「ヤマト」に関わられたのですか?

松本)最初に「ヤマト」の企画が持ち込まれたときは、戦艦が岩に囲まれて艦橋を出しているという奇怪なイメージロマンチックさのかけらもないものでした。

それで1から考え直したんです。

それから、イスカンダルにスターシャがいて、コスモクリーナーを取りにいくという設定に作りなおしました。

 ここで松本氏は、当初“立派な企画書”といっていたものを、“奇怪なイメージ、ロマンチックのかけらもない”と酷評している。
 しかも「イスカンダル」なる名称や、放射能除去装置を取りに行く設定は、豊田有恒氏のアイディアであり、松本氏がアイディアを発案したのではない。

 

Op2 ヤマトは誰が作ったか?
- 練りに練った訳ですね?
松本)
10時間くらい会議をやったりネ、そんな事ばっかりやっていたから練りに練ったつもりだったけど・・・・・・。
それにヤマトそのものが誤解を招き易いテーマだったので、戦記物とまぎらわしいんで、それを極力宇宙物として作り直していくという方向で会議を繰り返したんです。

- キャラクターの性格が回を追うごとに変ったようですが?
松本)あれがね結局、大勢でやってるために、大勢っていっても正確に言うと、西崎さんとオレと山本暎一さんの三者で性格設定を決めていくわけ。
それプラス藤川さん(脚本)とで決めていくとね、4人の扇動であっちいったりこっちいったりするわけね。特に山本さんと西崎さんとオレとの間の性格設定のとりきめが時々変って行くんで、それか全体に不統一を描いた原因になっているわけです。
 ここで松本氏は、宇宙戦艦ヤマトパート1が共同制作であることを言明している。
- 宇宙戦艦ヤマトの原作者は?
松本)ヤマトは正確に言うと、企画・原案というのが西崎氏で、ストーリーの原作者となるとあいまいでわからない。協議して作りあげたものとなるのかなあ?自分として言える事は、各話を追っていく基本的なストーリーやアイデアの大部分を出したという記憶があるわけで、設定を含め、個々の細かい戦闘アイデアまで含めたもの、アイデアその他も共同作品だから、といって出しおしみもしなかったし。だから、その問いに対してはあいまいだね。
 

-        ヤマトを終えて

松本)西崎氏は、アニメーションを初めてやるオレという男に任せてどうなるかわからない。
ーすると山本氏の他いろいろな人達は長年の経験があるから、こういえばどういうものがあがるか絶対的な信頼感があったわけ。しかしこの監督は何をしでかすかわからないわけ。
さぞ不安だったろうに・・・こっちだってこれからおれはどうなるのだろう(笑)と考えたもの。
大いに勉強になりましたね。

「COMIC GON!」第2号巻頭「松本零士直撃インタビュー」より

松本)最初のシリーズのクレジットでは「監督」になっていましたが、実際は「原作・監督・総設定」ですね。

原作の草案から、私が作っていきましたから。

第1話だって、タイトルを変えて4回くらい書いている。

それから、絵コンテも全26話の約半分を描いています。

 書籍等によると、絵コンテは7〜8回分程度に過ぎない。

                  *

(2001年2月10日大阪サンケイホール「ヤマトへきたれ!」より)

http://www.jrt.co.jp/yos/yamato/talklive.htm

まずは、松本先生とアニメーションの馴れ初め、そして創作の原点について。

 <ヤマトのアイデアについて>

最初は遊星爆弾を迎え撃つロケット型の宇宙戦艦ヤマトがあった。その次に一人でアニメを作ろうとして、自分で撮影台、撮影機まで買っていた。36歳の時に企画が通り、その依頼が元プロデューサーである西崎義展氏からあったのだそうだ。その時に今のヤマトが形作られた。

 

アニメの話に戻ると、元々の「電光オズマ」と方向性が違ったため、イスカンダルなどの設定は少し残しつつ、自分ですべて手がけることになった。また元々51話だったのが、低視聴率で26話になってしまったのは裏にハイジがいて、自分も好きだったのでしょうがなく、文句も言えない状態だったとのことだった。また子供向けではなかったというのも一つの要因のようだった。

 

                  *

西崎・松本両氏裁判1審判決後(西崎氏の勝利)のコメント。

 

日経新聞2002年8月26日号より

桃井)東京地裁の判決をどうとらえるか。

松本)「『ヤマト』の原案は西崎氏が考えたが、企画は私が大幅に変更した。

また制作過程で現場を指揮したというが、それは経営者として当然だ。そもそも私に『任せる』と言われたから引き受けた。それが漫画家のプライドだ。私の肩書きは監督・総設定・デザイン。武士の情で彼を原作の欄に加えたこともあったが、彼は原案に過ぎない」

桃井)具体的にどう創作活動にかかわったか。

松本)「制作現場に行く機会は少なかったが、私は自宅でコンテを描き、色指定して 現場に送っていた。映画で言えば監督や美術、俳優、演出などあらゆる創作活動を 一人で担ったも同前だ」

 明らかに初期の頃と発言が違う。当初は山本氏などを含めたスタッフや、会議でヤマトの土台を作り上げてきたと発言したのに、この時は「俺一人で作った!」になっている。
 またこのコメントには「脚本」も俺が担った・・・とは書かれていない。
 これは彼の弱点であり、大まかなストーリーは藤川桂介氏が担っていた。松本氏は、その脚本にのっとった設定デザインをしたのだ。

                          *

 
 こうした松本氏の意見に、宇宙戦艦ヤマトのSF設定を担当した豊田氏は次のように語る。
豊田有恒著「あなたもSF作家になれるわけではない」第3章より
最後に「宇宙戦艦ヤマト」について触れます。
筒井さんの一言でアニメーションから足を洗ったはずのぼくが、8年ぶりにタッチしたアニメーションです。
しかし今になってみると反省ばかり残ります。
どうせタッチするからには、シナリオまでタッチすべきでした。
基本設定のほとんどはぼくといっても良いと思います
次に、ぼくの基本設定との違いだけ列挙します。
「小惑星シップ・イカルス」→「宇宙戦艦ヤマト」
原題「小惑星6(アステロイド・シックス)」→「宇宙戦艦ヤマト」
「核恒星系にあるイスカンダル」→「マジェラン星雲にあるイスカンダル」
「惑星ラジェンドラ」→「惑星ガミラス」
もしあの番組が成功であったとすれば、ひとえに松本零士氏のキャラクターのためと言えます。
キャラクターの魅力によりひっぱっていっただけで、SF的なアイデアもプロットもあまりありませんでした。

ただし「宇宙戦艦ヤマト」があれだけあたったのには理由があります。
これまで誰もやったことのない題材を手がけたからです。
その点こそ西崎義展さんの功績です。

ともかく実現にもちこんだ努力、そして一回の放映であきらめずにファンの支持を頼りにブームを作りあげた点が偉いのです。
 
あとで脇から聞いたことですが、いろいろな雑音はたくさんあったそうです。
「そんな地球が破滅する話なんて」
「宇宙が舞台じゃねえ」
「怪獣は出ないんですか?」
「ロボット物にしたほうがいい」
「好戦的すぎて、批判がこわい」
・・・・というようなあとからやっかみ半分ででてきた声は、すべて企画の段階からあったわけです。 
 裁判で松本氏を支持した豊田氏でさえ、自分の書物で宇宙戦艦ヤマトの基本が松本氏参加前に既に構築されていた事を示唆している。
 

 

松本氏発言内容の比較と関係者発言
茶文字は1976年の「季刊ファントーシュ第二号」インタビュー内容 
黒文字は1978年以降の松本氏コメント内容  赤文字は著者記
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(独楽)