【比較元コメント原文】 

 長文ですが、現在では入手が困難な1976年の貴重なインタビュー記事です。松本氏の嘘偽りない様子が伺えます。

 

インタビュー「私は『みつばちマーヤ』が作りたい。」松本零士
季刊ファントーシュ第二号(昭和51年4月1日発行)より引用

-『宇宙戦艦ヤマト』の監督をやる話は、どんな形で?
松本)あれは、ほんとに降って涌いた話で、僕の所へ話が来るまでに、企画書も出来てたし、よみうりテレビで放送する事も決まってました。
ただ“ヤマトがどこかへ行くんだ”という、行くという部分までの設定が出来てた訳です。その段階では、イスカンダルヘ何をしに行ってどうこうというような細かい設定は出来てませんでしたね。

- 企画は大分前からあった様ですが?
松本)うん、それはね、僕もこのごろになって知った事なんてすが、それはヤマトではなく小惑星を、(岩みたいな船を)飛ばすという話があったというのをずーっと経って聞いたのね。
こちらはいきなりヤマトの話で、戦艦ヤマトを宇宙に飛ばすんだという話でどうだろうか?
という話を聞いたから、こちらのかみ方としては非常に遅かったわけね。
何故それがヤマトに変わったかはわかりません。
僕が行った時には、あの立派な企画書が出来ていて、ヤマトのテザインも岩盤をつけたような船(いわゆる船ネ、戦艦ではない)のデザインが出来てましたネ。
誰のデザインかはわからないけど、コスチューム・デザインも何点かありました。
さて、どうするか、という段階で会議に入ったわけです。

- 練りに練った訳ですね?
松本)10時間くらい会議をやったりネ、そんな事ばっかりやっていたから練りに練った
つもりだったけど・・・・・・。
それにヤマトそのものが誤解を招き易いテーマだったので、戦記物とまぎらわしいんで、それを極力宇宙物として作り直していくという方向で会議を繰り返したんです。

- キャラクターの性格が回を追うごとに変ったようですが?
松本)あれがね結局、大勢でやってるために、大勢っていっても正確に言うと、西崎さんとオレと山本暎一さんの三者で性格設定を決めていくわけ。
それプラス藤川さん(脚本)とで決めていくとね、4人の扇動であっちいったりこっちいったりするわけね。特に山本さんと西崎さんとオレとの間の性格設定のとりきめが時々変って行くんで、それか全体に不統一を描いた原因になっているわけです。
キャラクターとしてネ、つくり方としてではなく。
キャラの性格上の移りかわりみたいなのを感じさせるのはその辺にあると思いますね。
これはまあ試行錯誤の形をとったんで、どれか良かったかと言われると正直いって、オレにもわからないのね。こちらは本当に生まれてはじめてのアニメーションなんだから、オレにとっては一つの実験みたいなものだから、もう訳がわからないけれど。
当時としては1話から3話くらいまでは主人公古代だとかあの辺の性格を追っていきたかった
という希望はあったけれど、それが良かったか悪かったかといわれると、こちらもまだ結論が出たわけじゃないから。今、再放送をやっているんで、当時夢中でわからなかった欠点が良くわかるネ、冷静になるし。
当時できそこなったと思った部分でも今見るとかえっていい面も出てくるんで、今、再放送をみて、しみじみと反省をしているんだ(笑)。
だから本当にいきなりああいう仕事に加わってやってね、ある程度、任されてやったということは非常に幸福な事だったんで、こういう舞台が与えられたという事については感謝しているんです。結局、あれは自分にとってひとつの勉強だったわけです。

- 宇宙戦艦ヤマトの原作者は?
松本)ヤマトは正確に言うと、企画・原案というのが西崎氏で、ストーリーの原作者となるとあいまいでわからない。協議して作りあげたものとなるのかなあ?自分として言える事は、各話を追っていく基本的なストーリーやアイデアの大部分を出したという記憶があるわけで、設定を含め、個々の細かい戦闘アイデアまで含めたもの、アイデアその他も共同作品だから、といって出しおしみもしなかったし。だから、その問いに対してはあいまいだね。

 

- もう少し、ああしたかった・・・というような事はありますか?
松本)ムード的には、もっとヤマトの重量感というかロマンというか、そんな乗組員の少年や男の子たちのそういうロマンをもっとおもてに出しても良かったと思う。
さいわい主題歌その他、音楽が良かったんで救われたんだけど、もっと正面きって1本はっきり通るムードというのを出したかった。
スターシァの扱いがまだもの足りない、今度あれに匹敵するものが相手方にあった場合、もっと完全に動かすつもりですし、女のキャラクターをキチンと動かしてみたい気がするね。

- 飛び立つまでにもっと時間が欲しかった様ですが?
松本)うん、本当は6話ぐらいで飛び立つ予定だったと思うんだが、これは色々な方面からの要望で早急にヤマトの全容を出してほしいという事だったので、ねじまげてああしてしまった。
最初のストーリーではああはなってないね。これはおやじとせがれ向けでね。
だからあのヤマトが起きあがるところ、もっとじっくりやりたかった。
演出方法もこちらのいたりなさでもの足りない。もっと大々的、もっと華々しく登場させたかった。

- 当初39本、3クールだったはずですが?
松本)39本やってたら、ほんとにヘタばってただろうなあ、物語は完璧になったと思うけど。

- TVアニメにつきものの中弛みが・・・
松本)あのビーメラ星あたりが、ちょっと脱線してしまったのかなあ、と言ってもオレの責任でもあるんだから、今さらグチを言ってもあとの祭り、いさぎよくしましょう。
完全なSFとして作りたかったという、こちらには願望があるわけ、そこら辺で「ヤマト」という素材を扱っていくには、ちょっとムリな部分があるわけだよね。
あらゆる設定そのもの、ヤマトを使うにしろなんにしろ、完全なSFとして後ろ指のさされないものを作りたかったという後悔があります。ところがこれはヤマトの狙いと脱線する部分も出てくるし、それにはそれの事情があるからこちらも押し通せないし、やむをえない。
だけど、
まあこちらにすれば良くもまあ、あそこまでやらせてくれたという気もあるしね。
まあ、いい場所を与えてくれたという感謝をしこそすれ、それ以上どうこうとはない。
ただ、ただ、さぞや現場は大変だったろう……

- キャプテン・ハーロックという人は?
松本)あれは39本だったら出す予定だったキャラクターで、26本になった時すでに時間的な余裕がなかったためカットしたんですが、ハーロックは私の主役級の大事なキャラクターで中学の時に作りあげていた人物です。出す時は中途半端な出し方はしたくないよ、アイツだけは。

- ファンの女の子の反響は?
うん、手紙を山の様にもらったけど、おれ大筆不精だからあまり返事かかなかったけどね。
「ヤマト」を作る時、打ち合わせの段階で、こちらが意図してた方向にもってたものに対する、一応予測された反応があったということになるのかなあ。
こういう作り方をすればこうなるかもしれん、という予測は漠然とあったけれど、おやじとせがれ向きのつもりていたので女の人が、ああまで盛大に見てくれたという事に、正直いって、たまげた。

- 主人公をお兄さんとして憧れている様ですが?
松本)そういう話は良く聞くよ。これは血のかよったキャラクターとして受けとられたという事は非常にうれしい事だよね。
フィクションの人物でもあるし、所詮セル板に描かれた絵なのにね。
その辺で、性格設定とか血のかよわせかたというのが非常に大事な事になるわけです。

 

-        ヤマトを終えて

松本)西崎氏は、アニメーションを初めてやるオレという男に任せてどうなるかわからない。
ーすると山本氏の他いろいろな人達は長年の経験があるから、こういえばどういうものがあがるか絶対的な信頼感があったわけ。しかしこの監督は何をしでかすかわからないわけ。
さぞ不安だったろうに・・・こっちだってこれからおれはどうなるのだろう(笑)と考えたもの。
大いに勉強になりましたね。

- 又、アニメはやりたいですか?
松本)ウン、あれで懲りただろうとみんな言うけど、別にやり方の問題であってね。当然なんで。
あれこそいい試練の場だったから何にも代え難い経験だった。
あの時にしみじみと感じたんだけど、現場のみなさんというか、こちらは去年いきなりやっただけの事で、とにかくアニメについてはアマチュアだよね。
ところが皆さんは20年近いキャリアがあるんだよね。こちらもよくわからなかったんだけど、口でしゃべったり、打ち合わせをした事がほぼ確実にフィルムになってきてるわけで。
この時、ああこの人たちはほんとのプロだという信頼感ができて、それはもう次をやる時こっちのプラスになるわけ。ここはあの人にまかせれば絶対できると、自分がゴチャゴチャ口を出して言う必要もないという、そういうみんなのプロという腕前をはっきり認識したし、大勢の人と知り合いになって随分プラスになりました。
本当は、漫画映画(まだアニメと呼ばれてない頃)を作ることが、オレの主たる目的だった。しかし作るには、金とかスタジオとかの問題が絡んできて結局、雑誌への方へ行ってしまった。
はじめて東京へ出て来た時、当時『みつばちマーヤ』を作った会社が確かにあったよ。
思い違いで、別の会社からの話だったかもしれないけれど、第三者を通じて、入らないかと誘いがあった。さて入ってしまって自分の立場がどうなるか、自分のやりたい事と無縁のアニメを作る事になるので、自分のいる所をはっきりさせて、自分に最も適したものを作るべきだと片意地を張って行かなかった。

- では漫画映画に憧れて、それから雑誌漫画の方へ入っていった・・・
松本)そう漫画を描く事全体が好きで、紙に描く事と平行して漫画映画に憧れた。
だからどうしてもディズニーやフライシャーかぶれになってしまうが、さいわい九州にいた時は恵まれていてソ連のアニメを映画館で見れた。あっちこっちと片寄らず、色々なアニメをたくさん見ることができたわけで、大変恵まれていたみたいだった。
こちらもSFと同時に『マーヤ』のようなメルヘンチックな、おだやかなものを作りたい、生涯の夢と言うと大げさだけど完全に全部自分の手で作りたいのは『みつばちマーヤ』でネ、自分の感じかた、描写の仕方で完全に、1本にまとめたい、という気がある。
正直いってTVで始まった時、大変、気になった「おれもやりてえなあ…」。自分だったらこうする。というのがあるんです。絵師にも、ものすごく清冽なイメージの浮かぶ原作なんで、それを自分なりのイメージで昆虫の世界をテーマにして完全にやれたらというのが、願望です。『マーヤ』は作りたいね!完璧と言うのはおこがましいが、少なくともあのイメージは作ってみせるというのが子供の時から思い描いてきた……だから1カット1カット全部できあがっており、色まで決まってる。とにかく漫画映画をつくりたいのは1にも2にも、『みつばちマーヤ』を完全に映画にしたいと気があったんで、その事ばかり空想していた。
ヤマトはヤマトでうれしかったけれど、「マーヤ」を依頼してくれりゃ大いに張り切ったんだけど。
ヤマトだとか、SFっぽい物をやると、そういうものばかり志向してるみたいに誤解されてね。
ぼくには両面あっておだやかな、マーヤだとかそのタイプのアニメを作りたい、という気があるわけです。そのどっちに向いているのかといわれたら、作ってみせてくれたら自分でもわかると思うけど、世の中はそう甘くはないだろうね。しかし、両方をやってみたい。
その両方の接点が“スターシァ”だとか、女の出し方の部分の共通点になってくるわけで、どうなるかそれこそわからないけれど、何とかなるのではあるまいか!?
とにかく色々勉強して、色々やってみたい………。
それから、フライシャーの『バッタ君、街へ行く』が、オレは大好きです。

     
昭和51年(1976年)2月3日夜   松本零士宅にて

 

 

 
松本零士氏の発言内容の変貌と、関係資料。
   宇宙戦艦ヤマトがヒットする前と、その後で、松本氏のコメント内容が変わります。
その変貌ぶりを昭和51年のコメントを元に、本人コメント及び、関係者のコメントで綴ります。
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